[我が青春のFM-7] #7 第一家庭電器とLaOXと

当時中学生だった私にはとてもパソコンは買えませんでしたし、買ってももらえませんでした。まあ、そんなもん買ったら勉強しなくなって高校受験に差し支えるということも言われますので。そうでなくてもアマチュア無線や電子工作で勉強もろくにしなかったので。(今でも勉強しませんけどね。(^_^;))

当時は電気屋さんにパソコンコーナーが割とあって、パソコンが置いてあったんです。日本電気のPC-8001とかシャープのmz-80Kとか日立のベーシックマスターとかですね。しかも、結構自由に使わせてくれたんですよ。今考えると信じられませんよね。まあ、店員さんともお友達になれたり買いもしないのに。よく行ったのは大和市(神奈川県)の第一家庭電器とかLaOXですね。また、希望が丘のロケットとかにも遠征に行きました。土曜日の午後とか日曜日なんか丸一日触っていましたよ。何をしていたかというと自分の作ったBASICのプログラムを打ち込んで動かしてみるんです。平日に一生懸命ノートにプログラムを書くんです。それを週末に試すんです。手書きのプログラムが動いた時は感激でしたね。また、I/OとかRAMとか月刊マイコンを持ってゲームプログラムを一生懸命打ち込んで少しずつカセットテープに記録して遊びました。当時のプログラムの保存はカセットインターフェースでした。シャープのmz-80Kはカセットテープレコーダーが標準で付いていましたので。PC-8001はお店に置いてあることもあればないところもありました。私はどうしていたか忘れましたが、自前でカセットテープレコーダーも持ってきている人もいましたよね。色々なパソコンが使えてよかったです。ですから、各社のBASICの違いもわかりましたし、どんなパソコンでも特徴を理解して使えました。楽しかったなぁ。高校生に入って自分のパソコンを買うまではよく通いました。ある意味お店としてもデモンストレーションになっていたかと思います。(いや、それは思い込みか(^_^;))

でも、そんな状況も何年も続かなかったと思います。お店も厳しくなってきたのか、そのうち店員さんもいい顔しなくなって、ひどい時にはプログラムを打ち込んでいる最中に掃除をするふりをしてコンセントを抜かれたとかいう話も聞いたことがあります。でも、それまで使わせてくれたお店には感謝しています。本当にいい経験をさせていただきました。もちろんパソコンを買った時はLaOXで買いました。




[我が青春のFM-7] #6 西武労働レストラン

当時パソコンを使うと言えばプログラミングすることが当たり前でした。と思うのは一部だけかもしれませんが。今みたいに道具にはなっていなかったのです。コミュニケーションの道具でもないし、文書も作成できません。ですが、「ゲームをやりたい!!」というという目的でパソコンを買う方が結構いました。

 もちろん、それは立派な用途の一つなのですが。でも、プロクラムを組んでいた人から見るとちょっともったいない使い方だと思っていました。そういう方に対してまたはそういう使い方をしている人たちが自虐的にパソコンの使い方を「西武労働レストラン」という呼び方をしていました。ゲームをやるといっても、市販ソフトを買ってくるのではなく雑誌のプログラムを打ち込んで遊ぶということもしていました。ですから、打ち込んだプロクラムをカセットテープに保存するBASICSAVEコマンド、カセットテープに保存したプロクラムを呼び出すLOADコマンド、打ち込んだプロクラムの打ち間違いを確認するLISTコマンド、ブログらを実行するRUNコマンド、これだけしか使わないという使い方をこう呼んでいました。

SAVE・・・西武
LOAD
・・・労働
LIST
・・・レスト
RUN
・・・ラン

!?そう呼んでいませんでしたか?






[我が青春のFM-7] #5 ベーシックマスターLevel 2

学校のクラブ活動で「無料のマイコン教室がある」と教えてもらい参加したことがあります。確か神奈川県立青少年センターだったと思います。中学生を対象にした無料のマイコン教室です。クラブの先輩と一緒に申し込みました。行くと教室には10台くらいのパソコンがあります。緑色の単色モニタ、グリーンディスプレイってやつとパソコン本体があります。日立のベーシックマスターLevel2というパソコンです。パソコンは正確にはベーシックマスターLevel2 mk2だったと思います。

「日立のHINT商品」として当時はHINTというブランドがあり人の横顔にHINTという文字が出るでも画面を見せてくれます。講師の方が「あ、これは気にしないでください」と苦笑いしていたのを覚えています。これでおそらく日立の方ではないかと思いました。

キーボードは今のパソコンから見るとかなりしっかりした作りになっていました。ボディは金属製です。さすが日立製作所の製品という感じです。日立としてはパソコンはまだコンピュータとしての扱いではなくマイクロコンピュータの応用製品または家電製品としての扱いだったと思います。グラフィック機能はなく、ただ緑色の文字を発するだけの画面でしたが、BASIC言語でプログラムが動かせたことは中学生の当時はただ感動ものでした。

ベーシックマスターLevel2(MB-6880L2)のスペックは下記のとおりです。(カタログより)

  • プロセッサ HD64800 (モトローラ8ビットプロセッサ 6800互換)
  • メモリ ROM 16Kバイト、RAM 8Kバイト
  • 画面表示 8×8ドットの文字を、横32桁×縦24行表示
  • 文字はグラフィック文字を含む253文字が表示可能。
  • キーボードはJIS標準配列56キー(テンキーはありません)
  • モニタ出力は、NTSC
  • カセットインターフェースは、カンサスシティースタンダード(300bps)
  • 音声出力は、5ビットD/A変換のスピーカー出力

実はキーボードを備えた完成された形のパソコンは日立のベーシックマスターが初めてでした。




[我が青春のFM-7] #4 マイコンからパソコンへ

1980年.既にこの時は市場にはパソコンが出回っていました。代表的なのは日本電気(NEC)のPC-8001とシャープのマイコン博士MZ-80Kでした。マイコンという言い方からパソコンという言い方に変わってきたのはこの頃です。マイコンはマイクロコンピュータの略ですが、マイコンピュータ「私のコンピュータ」とも言われていました。コンピュータというものが個人で持てるようになったのはこの頃だったのですね。そして、パーソナルコンピュータ、略しパソコンと言われるようになりました。もともとPC-8001のPCはPersonal Computerですからね。「パソコン」じゃなくて「パーコン」が正しいという議論もありましたね。

[我が青春のFM-7] #3 天才電卓ピタゴラスPC-1211

中学校のクラブ活動で教材というか技術家庭の予算で買ったのかはわかりませんが、顧問の先生がシャープのポケットコンピュータPC-1211を持ってきました。先生は成績の集計などにも使っていましたが、私たちにも開放して使わせてくれました。ポケットコンピュータ、略してポケコンです。当時はシャープの関数電卓の一つという位置づけだったと思います。「天才電卓ピタゴラス」という商品名がついていました。PC-1211の特徴はBASIC言語でプログラムが組めるということでした。ある程度の処理をプログラムで組んで動かすというレベルであればカシオ計算機のFX-502P/FX-602Pがありましたが、BASIC言語でプログラムが組めるのはPC-1211が初めてでした。オプションのプリンタユニットはドットインパクトプリンタで英数字が印字できました。画面は24桁×1行でした。ここにプログラムを打ち込み、実行しました。プログラムの記憶容量は1424ステップでした。この数字はこれを書いている時点で調べたのですが、覚えていましたね。マニュアルにはプログラム集も付いておりロケットの軟着陸ゲームとかが入っていたと思います。ロケットの燃料を数字で入力してEnterキーを押すと、その燃料によりロケットが噴射して上昇します。重力で下に落ちていくのですが、燃料を与えすぎると上昇し過ぎてゲームオーバーとなり、燃料が少ないと地表に激突してゲームオーバーというものでした。それらのゲームで遊んだり、自分で作ったプログラムを動かしたり、ゲームを改造したりと、クラブのみんなで取り合うようにポケコンを使っていました。

そして作ったプログラムはカセットテープに記録します。このオプションにはカセットインターフェースも付いていてプログラムをカセットテープに保存できました。試しにこのカセットテープを聞いてみたら「ピーーーーーー、ギャラララピーーーー」って音が出て「これがプログラムの音か」と感激したことがあります。記録はできても、再生時のテープの状態により読み込めないこともありました。
PC-1211は初めて自分の作ったプログラムを動かしたコンピュータでした。




[我が青春のFM-7] #2 マイコン博士 MZ-40K

中学校のクラブ活動「電子工学部」は、放課後に技術家庭(当時はそういう名前の科目があった)の教室を部室として使っていました。顧問の先生は技術の先生でした。今でも同窓会で年一回お会いしています。そのクラブに入部したときにワンボードマイコンがありました。シャープのマイコン博士MZ-40Kというマイコンボードです。マイコンと言ってもプロセッサは何だったか覚えていません。というか知りませんでした。今調べたのですが、MZ-40Kはプロセッサが4ビットマイコン富士通のMB8843、メモリはCPU内蔵メモリが32Byte、プログラム用メモリが512Byte、ROMはCPU内に1KB搭載していました。

20cm四方位のサイズのプリント基板にICが並び、16個のキーボード(16進数が入力できるキーボード)と7セグメントLEDが4桁並んでいました。これはプログラムを動かすと言うより入力したデータを順次表示したり、スピーカーから音楽を鳴らしたりして楽しんだ覚えがあります。ルーレットとか簡単なゲームもできたと思います。シミュレータを作った方もおられるようで今でもMZ-40Kは体験することができます。

http://www.retropc.net/ohishi/mz40k/index.htm




[我が青春のFM-7] #1 初歩のラジオ1981年6月号「君もBASICをマスターしよう」から始まった

私が電子工作とかに興味を持ちだしたのは1980年のことでした。当時中学一年生。今と違って、将来有望な??少年でした。半田ごてを握って電子工作に勤しんでいました。当時中学校のクラブ活動で「電子工学部」というクラブにいて、読んでいた雑誌は「初歩のラジオ」と「ラジオの製作」だったのです。「初ラ」と「ラ製」と呼んで親しんでいました。そんな中、初歩のラジオ1981年6月号で「君もベーシックをマスターしよう」という特集記事がありました。BASIC言語について解説したものです。これを土曜日の夜に読んで「一晩でプログラミングを理解した!!」と大喜びでプログラミングの道に入っていきました。内容はBASIC入門の特集で、画面に文字を出す、条件で処理を分岐させる、繰り返し処理を行うなどの極々基本的な内容でした。そこでプログラムを組んで動かすことが理解でき急速にパソコンに興味がわいてきたのです。今でもその気持ちは持ち続けています。

当時、出てきたのは下記のステートメントでした。

PRINT
INPUT
GOTO
IF~THEN
GOSUB / RETURN
FOR~NEXT

これだけの内容でプログラムが動かせる。それは感激でした。今考えるとちょっと読めば理解できる話だろうと思いますが、当時はスペースインベーダーが流行ったちょっと後の話でパソコンなんてものが一般的なものではなかったのです。ですから、前人未踏の領域に足を踏み入れたという喜びが大きかったのだと思います。ただ、BASIC言語は覚えても実際に試すパソコンは持っていませんでした。当時のあこがれのパソコンは日本電気のPC-8001でした。定価168,000円。中学生にはとても買えるものではありませんでした。




[我が青春のFM-7] #0 勝手に連載します

私がパソコンを始めたのは1981年のことです。中学一年生(1980年)の時にいわゆる「ラジオ少年」だった私がパソコン(当時はマイコンと呼んでいましたが)に興味を持ち始め今に至るまでずっと趣味でパソコンを楽しんでいます。そんな1980年代に楽しんだパソコンのお話を書いていきたいと思います。当時を懐かしむのもよし、昔はこうだったのかと思うのもよし、とこの記事を楽しんでいただければと思います。もっとも、一番楽しいのは今この記事を書いている私なのかもしれませんけどね。